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Posted by たまりば運営事務局. at

ホタルサミット in 養沢(あきる野)

7月6日(日) 2014・「東京ホタル会議」創立20周年記念 ホタルサミット in 養沢(あきる野) があきる野市養沢え開催されました。第1部ホタルの一生(ゲンジボタルの生態観察ビデオ 上映)や基調講演 「オカリナの演奏と歌」 事例発表など盛りだくさんの内容で、60名を超す参加者で盛り上がりました。 第2部 交流・懇親会 そのあと 養沢川の渓流でゲンジボタルの鑑賞会が行われました。会場の「養沢センター」から上流に向かって5~600m の区間 地元のボランティア(養沢活性化委員会)の案内で歩きました。梅雨の中休みの一夜、木立の間を飛ぶ、ゲンジボタルを堪能しました。
  


  • Posted by water. at 2014年07月07日23:43

    「たまら・び No.83」(2014春)

    『たまら・び No.83』は国分寺特集です

    『たまら・び』は、1997年6月に創刊され、年4回発行されている東京・多摩地域の地域雑誌。企画は多摩信用金庫(たましん)、発行所が(株)多摩情報メディア、編集・発売が(株)けやき出版となっている。「多摩らいふ倶楽部」の会報的な側面もあるが、書店の店頭にも並んでいる。本体価格は710円。
    多摩地域30の市町村をめぐりながら、その土地の人たちと一緒につくっている。4月1日に発行されたNo.83(2014春)のまち特集は「国分寺市」、タイトルは“めぐるまち”。そこでまち特集の編集には、国分寺市民、国分寺が大好き人たちが呼びかけに応じて参加した。私も、その中の一人。昨年11月から編集会議やまち歩きを重ね、年明けから取材が始まった。水のめぐみがめぐるまち“の取材、執筆などを担当、貴重な体験となった。

      


  • Posted by water. at 2014年05月05日16:35

    国分寺まつり

    やや旧聞に属するが、去る11月4日(月・振休)、「第30回 国分寺まつり」が都立武蔵国分寺公園で開催された。時折雨がパラつくあいにくの天気だったが、来場者で終日賑わった。ちなみに、来場者は公称3万人。(昨年:3万8,000人 一昨年:2万8,000人)

    国分寺市まちづくりセンター(まちセン)も今回は、「国分寺百景」の写真展示で初出店。ブースには、「国分寺百景」の中から約20景を展示。また、今年度追加予定候補の約10景も展示、来場者に投票を依頼、投票した人には、手作りのメモスタンドがプレゼントされた。メモスタンドはなかなか好評だった。
    また、今年の「国分寺まつり」では、「運上瓦引き渡しの儀」というイベントがあった。これは前掲のふるさと文化財課の主催で8月に行われたバスツアー「武蔵国分寺の瓦生産地をめぐり、古代瓦を作る」で国分寺市民が鳩山町を訪れ、製作した瓦が焼成され、この日鳩山町から国分寺市に引き渡されたもの。ステージ上では、木簡(短冊状の細長い板)に書かれた「瓦運上事」が読み上げられ、鳩山町長から国分寺市長へ手渡された。


      


  • Posted by water. at 2013年12月05日23:46

    出羽三山めぐり

    去る7月16,17日、一泊二日、駆け足で出羽三山をめぐった。古くから出羽三山詣では西の「伊勢参宮」に対し、東の「奥参り」として民衆の生活の中に息づいていた。江戸時代、当地国分寺でも裕福な農民は出羽三山に詣でていたようで、多摩蘭坂下に、湯殿山、羽黒山、月山と刻された石碑がある。出羽三山に詣でる旅の途中亡くなった人の供養塔だという。
    ところで、出羽三山は、今から1420年ほど前の推古元年(593年)第33代崇峻天皇の第1皇子・蜂͡子皇子が羽黒山を開かれたのが始まりといわれている。羽黒山の山頂には、三山の神々を合祀する三神合祭殿(国指定重文:藁葺木造建造物としては日本最大)がある。社殿の前の御手洗池は鏡池と呼ばれ、人々から奉納された銅鏡が埋納されている。また、山頂に至る参道には、老杉が生い茂り、石段は2446段、途中の林の中には国宝の五重塔が優美な姿を見せている。
    月山は、標高1984m、出羽三山の主峰として聳え、頂上には月山神社の本宮がある。8合目の弥陀ヶ原(標高1400m)から頂上にかけては高山植物の宝庫であり、湿原は尾瀬を思わせる。訪れた日は霧雨、風も強かったので、8合目の御田原参籠所(月山中之宮)から遥拝した。 
    湯殿山は、出羽三山の奥の宮とされ、修験道の霊地である。湯殿山神社本宮、といっても雪深い山中のため恒常的な社殿はなく、梵字川のほとり、ご神体の大岩が鎮座している。裸足になり、お祓いを受け、参拝、温かいお湯を足の裏で感じながらの参拝だった。いずれにせよ、このような山深い地を、江戸の人々はどんな思いでめぐったのだろうか・・・。  


  • Posted by water. at 2012年08月02日16:38

    金環日食~金星の日面経過

    2012年5月21日の午前7時35分の前後約1時間の金環日食。世紀の天体ショウ騒ぎから早くも1週間が経つ。かく言う私も話のタネにと日食グラスを購入、前日には予行も行い、しっかりと観察した。幸い国分寺の自宅から、雲に遮られることもなく、都心(テレビ中継)よりよく見ることができた。
    それにしても、中心食帯が同じものは932年振りだとか、東京(江戸)だと173年振り、次は300年後だとか・・・・。ただし地球上の場所を選ばなければ、かなり頻繁に起るようだ。ちなみに、日食ではないが、金星の日面経過が6月6日の8時~13時に見ることができるという。(黒い点が太陽を横切っていくのがわかるとのこと・・・金星の見かけの大きさは太陽の30分の一)折角日食グラスがあるので、天気が良ければ観察したいと思っている。  


  • Posted by water. at 2012年05月28日00:08

    中欧

    先ごろ思い立って、中欧を旅した。6泊8日のツアー。ウイーンへの直行便。後は北緯47度、広々とした農業地帯をバスでの移動。ブダペスト、プラチスラヴァ、プラハ、チェスキー・クルムロフ、ウイーンといずれ中世の息づく街々。ハプスブルク帝国の栄華の跡をたどった。
    ”青きドナウ”の両側に広がるブタとペストの美しい街並み。 ドイツのシュヴァルツヴァルトに源を発し、オーストリア、ハンガリー、セルビア、ルーマニアなどを経て黒海に注ぐ、総延長2,850㎞の国際河川、ドナウ川もここハンガリ―あたりは中流域。ゆったりとした流れは心が休まった。 
    赤い家並みと尖塔の屹立するプラハ。創業1499年というビアホール、黒ビールのウ・フレクー。まさに中世が息づく街。 
    そして、まち角で、モーツァルトやシューベルトに出会いそうなウイーン。 ザッハートルテや豚肉のヴィナー・シュニッツェル。女帝マリア・テレジアと少女期のマリー・アントワネットも暮らした、ハプスブルグ家の夏の宮殿、バロック様式の代表的な建物でもある、シェーンブルン宮殿。ロマネスク様式で建てられ、ゴシック様式で建て替えられたシュテファン寺院などなど、眼も舌も堪能した旅だった。  


  • Posted by water. at 2012年05月16日22:24

    高尾梅郷

    「玉川上水自然道を歩く会」は毎月第1日曜が例会。通常は三鷹の東橋に集合、井之頭公園の松本訓導殉難の碑までが通常コース。今月は梅もそろそろということで、4日に高尾梅郷を訪ねた。高尾梅郷は、西浅川町と裏高尾町の小仏川、旧甲州街道沿いで、関所梅林、天神梅林、湯の花梅林、遊歩道梅林などを中心に約10,000本ぐらいある。例年だとまさに見ごろなのだが、今年はここも例外ではなく、咲いている木はほんの少しだけ。JR高尾駅から約15分、上椚田橋から小仏川の瀬音を聞きながら、遊歩道梅林、天神梅林を経て、関所梅林まで歩いて一服。そこから京王線の高尾山口へ。高橋家の旨いそばを食べて帰途についた。多分今は見ごろ・・・。お薦めのコースではある。  


  • Posted by water. at 2012年03月16日00:15

    谷中界隈

    谷中七福神めぐりの途中、富士見坂に立ち寄ったことは先に触れたが、富士見坂をほんの少し南に行くと經王寺(きょうおうじ)がある。慶応4年(1868年)の上野戦争に敗れた彰義隊がここに隠れたため、新政府軍の攻撃を受けたとのことで弾痕が、今も山門に残っている。
    そこから、御殿坂を西に下ると有名な「夕やけだんだん」がある。一般公募で命名されたこの階段の上からは、美しい夕焼けを見ることができるという。野良猫達の天国としても知られているが。なぜかこの日は見かけなかった。
    その先は、これまた有名な谷中銀座である。懐かしいような、不思議な場所である。地元の人達と、観光客とで賑わっていた。
    そこから来た道を引き返すと(「夕やけだんだん」を上り、御殿坂を登っていくと)日暮里であそこを右折すると、もうそこは谷中霊園である。このあたりはいわゆる寺町であり、各寺の墓地も集まっているので、一帯が墓苑である。霊園の一角には、幸田露伴の小説「五重塔」で知られる五重塔の跡もある。ところで昨今、まち歩きの途次、有名人のお墓参りをする”墓マイラー”という人たちがいると云われているが、ご多聞に漏れず、ここも賑わっていた。ちなみに、2枚目の代名詞ともいうべき長谷川一夫や最後(第15代)の将軍徳川慶喜のお墓も当霊園にある。
      


  • Posted by water. at 2012年02月06日22:49

    谷中七福神めぐり

    近年、七福神めぐりが盛んである。都内でもコースが30か所以上もあるという。まちおこしの一環として新規参入?も続々ある模様。
    そんなわけで今年は、谷中七福神をめぐってみた。JR田端駅をスタート。先ず、東覚寺の福禄寿。ここで色紙(といっても和紙、1000円)を購入、ご朱印をいただく(200円)、続いて、青雲寺の恵比寿、修性院の布袋尊、天王寺の毘沙門天、長安寺の寿老人、護国院の大黒天、そして最後が不忍池弁天堂の弁財天と順次お参りしながらご朱印をいただく。(それぞれ200円)この間寄り道をしなければ5キロ余り。もちろん弁財天から回ってもいい。
    当日は、あちこち寄り道をした。先ずは修性院のすぐ近くの西日暮里の富士見坂。
    都内には多くの富士見坂があるものの、かろうじて冨士山らしい富士山の見えるのはここだけ(ただし左の稜線は高層ビルに隠されている)になってしまったという貴重な富士見坂。幸い冨士を見るには最適の季節、天候。感動のひと時を過ごした。
      


  • Posted by water. at 2012年01月24日00:28

    谷中七福神めぐり

    近年、七福神めぐりが盛んである。都内でもコースが30か所以上もあるという。まちおこしの一環として新規参入?も続々ある模様。
    そんなわけで今年は、谷中七福神をめぐってみた。JR田端駅をスタート。先ず、東覚寺の福禄寿。ここで色紙(といっても和紙、1000円)を購入、ご朱印をいただく(200円)、続いて、青雲寺の恵比寿、修性院の布袋尊、天王寺の毘沙門天、長安寺の寿老人、護国院の大黒天、そして最後が不忍池弁天堂の弁財天と順次お参りしながらご朱印をいただく。(それぞれ200円)この間寄り道をしなければ5キロ余り。もちろん弁財天から回ってもいい。
    当日は、あちこち寄り道をした。先ずは修性院のすぐ近くの西日暮里の富士見坂。
    都内には多くの富士見坂があるものの、かろうじて冨士山らしい富士山の見えるのはここだけ(ただし左の稜線は高層ビルに隠されている)になってしまったという貴重な富士見坂。幸い冨士を見るには最適の季節、天候。感動のひと時を過ごした。
      


  • Posted by water. at 2012年01月24日00:27

    玉川上水自然道を歩く会

    今日は「玉川上水自然道を歩く会」の第423回例会に参加した。同会はその名のとおり玉川上水の自然道を歩く会で、毎月の第1日曜が例会。通常コースは三鷹市の東橋~井之頭公園の松本訓導殉難碑まで。3㎞ほどを玉川上水の四季を堪能しながらゆっくり歩く。423回ということは35年以上続いているわけで大変歴史のある会といえる。今日は。通常コースを離れ、小金井~国分寺まで、ハケ沿いを歩いた。今にも降り出しそうな曇り空だったが、涼しく、さわやかな秋の半日、滄浪泉園、貫井神社、新次郎池など湧水池を巡った。台風の後でもあり、湧水池はいずれも水量が豊富で、一年をとおしてこのくらいの水量があれば思わずにはいられなかった。  


  • Posted by water. at 2011年10月02日22:18

    INAXギャラリー1(にっぽんの客船)

    京橋にある、タイル、住宅機器メーカーINAXが開いている小さなギャラリー・・・INAXギャラリーを覗いてきた。過日、日経紙に同ギャラリーでの「にっぽんの客船 タイムトリップ展」~5/21まで、の紹介が掲載されたのを目にとめたのが契機。その記事には「ブエノスアイレス港に寄港する『あるぜんちな丸』の写真も掲載されており、船にノスタルジーを感じる身としてはほおっておけず訪ねた次第。にっぽんの客船とは大げさで『あるぜんちな丸』中心の写真、映像の展示。私にとっては行った甲斐はあったが・・・。
    ところで、『あるぜんちな丸』(初代)は戦前、大阪商船(現商船三井)が西回り世界一周航路向けに建造(三菱重工長崎造船所)、1939年に竣工した、総トン数12,755トンの豪華貨客船。1942年海軍に売却され、航空母艦(海鷹;かいよう)に改装され、1945年7月、機雷に触れ座礁、戦後解体された。ちなみに太平洋戦争での船舶被害は2,800隻、犠牲となった船員6万人といわれる。2代目は1958年に竣工、南米航路で移民船として活躍した。  


  • Posted by water. at 2011年04月26日23:51

    神田お玉が池 千葉道場

    先週日曜、神田界隈を歩く機会があった。その際、長年気にかかっていた”お玉が池”のあったあたりを訪ねることができた。神田お玉が池といえば、北辰一刀流の創始者千葉周作の千葉道場。幕末の江戸三大道場の一つにか数えられ、門下から多くの重要人物を輩出している。実在の道場だが、漫画「赤胴鈴の助」でも知られている。説明板によるとかってこのあたりに上野の不忍池より大きな池があったとのこと、今では埋め立てられ面影はない。元は”桜が池”と呼ばれていたのが、茶店の娘、お玉さんが身投げをしたことから”お玉が池”と呼ばれるようになったとの言い伝えがあるとのこと。都営地下鉄岩本町駅を出てすぐのところ(昭和通りと靖国通りの交差点の近く)には道場「玄武館}跡があり、石碑のあるミニ公園がある。なお、坂本竜馬が通っていたのは、桶町の周作の弟貞吉の小千葉道場だ。近くには、幕末そして明治初期の史跡が少なくない。
    近くて遠かったお玉が池、また界隈を巡ってみたい。  


  • Posted by water. at 2011年04月16日23:56

    府中市郷土の森(カタクリの花)

    27日(日)、ちょっと見たいものがあって、府中市郷土の森博物館を訪れた。ところが博物館は震災の影響か?設備点検のためとかで休館中。折角なので、公園を一巡したが、近隣では知られた梅園の梅も殆ど終わり、人影もまばら、閑散としていた。そんな中でカタクリが咲きそろっていた。思わぬ大収穫。24日、神代農場はまだまだだったのに、こちらは見ごろ。日当たりの差なのか?見ごたえがあった。そういえば今日、都内のソメイヨシノの開花発表があった。季節は正直というべきか。  


  • Posted by water. at 2011年03月28日23:03

    カタクリの花

    24日(木)陶芸仲間のウォーキング”神代農場を歩く”に参加した。一番のお目当ては神代農場のカタクリ。コースは深大寺北町⇒自由広場⇒青渭神社(あおいじんじゃ・・・水神;深大寺町の総鎮守)⇒神代農場⇒深大寺自然広場(調布市立野草園)⇒池ノ上神社⇒深大寺。神代農場(都立農業高校の農場、湧水を利用したわさび田や田んぼがある;曜日により一般の見学を認めている)のあたりは国分寺崖線(はけ)に谷が開析、谷戸を形成している。正門から直進、田んぼへの階段の手前に2株、3株カタクリの咲いているのを発見。しかし、咲いていたのはそこだけ。担当者によるとここのところの寒さで例年より少し遅れているとのこと。見ごろは1~2週間後か?野草園の前の自生地も北斜面のため今少し遅いのでは?カタクリはともかく、好天にも恵まれ、爽快な半日。最後は”多聞”で締め括り。  


  • Posted by water. at 2011年03月26日23:31

    神代植物公園・うめ園

    まさに三寒四温、今日は朝から雪になったが、昨日はぽかぽか陽気。「玉川上水自然道を歩く会」では通常コースを離れ、神代植物公園の散策を行った。大温室からばら園、せせらぎの小路、芝生広場、などを経て神代小橋を渡るとお目当ての梅園。梅の香りが鼻腔をくすぐる。ほゞ見頃。70種、200本、梅園としては規模はあまり大きくはないが、種類は豊富、「輪違い」「見驚」などなど木ごとにつけられた札と見比べるのも楽しい。
    観梅の後は、深大門から出て、深大寺にお参り、門前のそばで締めくくった。  


  • Posted by water. at 2011年03月07日22:53

    深大寺だるま市

    深大寺では3月の3日、4日は恒例のだるま市が開かれる。この時期、荒れることが多いが、今日は風は冷たかったが、お日様も出てまづはだるま市日和。境内、参道には露店がぎっしりと立ち並び、身動きできないくらいの人の波。「だるま開眼所」(僧がだるまに目を入れてくれるところ)には長い列ができていた。ところで深大寺のだるま市は、正式には「厄除け元三大師大祭だるま市」というそうで日本三大だるま市の一つとか。丁度、木遣り衆、講中、高僧によるお練り行列を見ることができた。なお,元三大師(がんさんだいし)は、第一八代天台座主の慈恵大師、正月三日に遷化されたのでこの呼び名がある。  


  • Posted by water. at 2011年03月03日23:16

    節分

    節分 福豆は深大寺にいただきに行くのを常としているのだが、今日は所用のため残念ながらパス。深大寺では例年、福男、福女は、前進座の役者さんや、三井住友海上の女子柔道部員が務めている。  


  • Posted by water. at 2011年02月03日18:17