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Posted by たまりば運営事務局. at

多摩蘭坂(たまらん坂)2

多摩蘭坂下は今やロックの神様、故忌野清志郎さんの聖地として認知された感がある。その多摩蘭坂下、市の設置した道標のすぐ近くに、(ちょっと北へ入ったところ)お墓のような石碑がある。以前から気になっていたが、内藤新田の歴史(内藤豊三郎さん)によればお墓ではなく供養塔とのこと。お伊勢参り、金毘羅参りの道中で亡くなった人の供養と旅の安全を願って、天保4年(1833年)身寄りの人が建てたものであるという。それにしても新田開発(入植)からほゞ1世紀、お伊勢参りでも江戸から片道15日、今の海外旅行以上であり、当時の人々の意外な豊かさに驚かされる。  


  • Posted by water. at 2011年05月21日21:11

    多摩蘭坂(たまらん坂)

    この2日は「ロックの神様」忌野清志郎さんの3回忌、多摩蘭坂下は彼を偲び各地から訪れたファンで賑わっていた。彼が一時このあたりに住んでいたこと、そしてヒット曲『多摩蘭坂』のモデルとなったことなどでファンにとっては一種の聖地になっている。
    ところでこの多摩蘭坂は国分寺~国立間の多喜窪通り(都道145号線)の崖線の切通し、国分寺市と国立市の境目付近にある。歴史的には大正14年(1925年)9月、東京商大(現一ツ橋大学)の国立移転が認可されたのを受けて同年急遽敷設された道路だ。敷設当時は「5間道路」と呼ばれ、かまぼこ型の道路だった。もちろん舗装はされておらず、雨でも降れば、荷車など難渋したことだろう。そんなわけで、当初国分寺から国立まで徒歩通学(国立まで電化されたのが昭和3年5月)の学生たちが、この坂で”たまらん、たまらん”と云ったのが「多摩蘭坂」の由来との説がある。  


  • Posted by water. at 2011年05月08日00:13

    国立の桜満開

    桜の名所は数々あれど・・・知人、友人に日頃私が推奨しているのは国立の桜である。幅員が広く、真っ直ぐにのびる大学通り。これと直角に交差する桜通り、そして幅員が狭い分完全にトンネル状になっている矢川通り。昨日、今日の暖かさで一挙に開花。ほぼ満開に近い。花の宴はウイークデイでもあり、時節柄もあってかほんのわずか。夜半に嵐の・・・少し週末の天気が怪しいが、ぜひ多くの人に、この一瞬を楽しんでほしいと・・・願っている。  


  • Posted by water. at 2011年04月08日00:05

    千代田区 景観まちづくり重要物件

    千代田区に照会してもらったところ、同区では、区を10のブロックに分けて、地区別に歴史的に価値のある建造物等を景観まちづくり重要物件として指定しているとのこと。約10年前に、50年以上たっている建造物について、一括して調査を行い、所有者の同意が得られたもののみ指定したとのこと。
    指定した場合、その保存等のために技術的支援その他の措置を講ずることができることになっており、1件につき、500万円を上限とする補助制度などがある。趣旨としては、景観形成の糸口としていくことであり、効果としては、指定した建造物は、多くの人に関心を持ってもらえるとともに、ランドマークとしての役割も果たしている由。
    指定されている建造物には、九段会館本館,共立講堂。山の上ホテル本館や聖橋、万世橋などの橋梁もある。  


  • Posted by water. at 2011年03月04日22:58

    日本橋

    今日は所用で日本橋へ。その折耳にした話によると、現在の”日本橋”は20代目、明治44年(1911年)に架橋され、4月3日で満100歳を迎えるとのこと。初めて架けられた(創架)のは、慶長8年(1603年)、長さ約68.6m 幅約8mだったとのこと。火事の多かった江戸のこと、木造の橋は焼失等で20年もつことはなく、頻繁に架け替えられ、20代目にして、耐久性の高い石橋(石造アーチ橋)となった。ところで帰途界隈を少しぶらぶらしていたら、「景観まちづくり 重要物件 千代田区」なるプレートをつけた建物を発見、どんな制度なのか調べてみることにした。  


  • Posted by water. at 2011年03月02日23:40