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Posted by たまりば運営事務局. at

「青鞜」

今年は、平塚らいちょう(らいてふ 1886~1971)の作った「青鞜」発刊から100年目にあたる。 「青鞜」は平塚らいちょう(当時25歳)ら日本女子大学同窓の若い女性達によって発行された、月刊の文芸誌。「青鞜」とは Blue Stockingsの訳で、19世紀にロンドンで始まった黒でない緑のストッキング、転じて趣味のいい婦人の意だという。 『元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。』で始まる平塚らいちょうの格調高い発刊の辞は有名である。創刊号を飾った与謝野晶子の詩「そぞろごと」は「山の動く日来る~」で始まる。これは1989年、”山は動いた”と土井たか子率いる社会党が”マドンナブーム”を起こした時に引用された。ところで「青鞜」は文学史的にはあまり大きな役割を果たさなかったが、創刊の辞をはじめ婦人問題を世に印象づけた意義は大きいと言われている。それにしてもあれからわずか100年、現代の女性たちは当時の女性たちには信じられないほどの権利と自由を手にしている。この現実をらいちょう達は草葉の陰からどう見ているのだろうか。  


  • Posted by water. at 2011年07月31日23:46

    多摩蘭坂(たまらん坂)3

    多摩蘭坂の名前の由来、昨今忌野清志郎さんの聖地になっていることについては以前触れた。ところで、多摩蘭坂下(国立寄り)から北に向かっている坂(この先は内藤橋に至る)をご存じだろうか?坂の名前は白明坂(しらみざか)という。坂の上り口のところに、国分寺市観光協会の設置した説明板があり、名前の由来が記されている。(出所は皇国地誌:明治政府が作成した民族歴史収集書類)これらによると、1333年、新田義貞が鎌倉攻めに際し、分倍河原に布陣する幕府軍を払暁急襲すべく夜間兵を進めてきたところ、このあたりで夜が白々と明け、大いに失望(一旦攻撃を断念)したところから、里人がこの坂を白明坂と呼ぶようになったとか。ロマンのある名前であり、私は大いに気に入っている。  


  • Posted by water. at 2011年07月15日23:27