谷中七福神めぐりの途中、富士見坂に立ち寄ったことは先に触れたが、富士見坂をほんの少し南に行くと經王寺(きょうおうじ)がある。慶応4年(1868年)の上野戦争に敗れた彰義隊がここに隠れたため、新政府軍の攻撃を受けたとのことで弾痕が、今も山門に残っている。
そこから、御殿坂を西に下ると有名な「夕やけだんだん」がある。一般公募で命名されたこの階段の上からは、美しい夕焼けを見ることができるという。野良猫達の天国としても知られているが。なぜかこの日は見かけなかった。
その先は、これまた有名な谷中銀座である。懐かしいような、不思議な場所である。地元の人達と、観光客とで賑わっていた。
そこから来た道を引き返すと(「夕やけだんだん」を上り、御殿坂を登っていくと)日暮里であそこを右折すると、もうそこは谷中霊園である。このあたりはいわゆる寺町であり、各寺の墓地も集まっているので、一帯が墓苑である。霊園の一角には、幸田露伴の小説「五重塔」で知られる五重塔の跡もある。ところで昨今、まち歩きの途次、有名人のお墓参りをする”墓マイラー”という人たちがいると云われているが、ご多聞に漏れず、ここも賑わっていた。ちなみに、2枚目の代名詞ともいうべき長谷川一夫や最後(第15代)の将軍徳川慶喜のお墓も当霊園にある。