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Posted by たまりば運営事務局. at

環境シンポ 野川ミニウォーク

第8回 環境シンポジウム、野川ミニウォークが開催されます

第8回環境シンポジウムが2月2日(土)午後1時30分から国分寺Lホールで開催されます。  国分寺の唯一の河川 “野川”がテーマです。メインの講師は吉村伸一さん。(株式会社伸一流域計画室 /元横話職員) 演題は「川の再生とまちづくり ~都市の川を暮らしの中を流れる川に~」。横浜市の河川をはじめ、さまざまな河川の整備に携わった経験に基づいて、河川周辺の地形や植生を活かして川づくりを行う「多自然川づくり」について 、“野川”の改修も視野に入れて話をされます。事前の申し込みは不要です。お奨めの企画ですぜひご参加ください。

午前10時からは、野川ミニウォークも行われます。殿ヶ谷戸庭園西側の児童公園で集合した後、野川の最上流部をガイドと一緒に、昔の野川が描かれた本多克己さんの地図やスケッチ、野川周辺の田園風景が描かれた児島善三郎画伯の絵(ガイドが写真をお見せします)と見比べながら歩きます。昔の野川を想像しながら現状を確認し、野川の将来像を考えながら散策します。
ウォークの定員は50名(先着順)です。参加費は100円です。申し込みは、電話で環境計画課(TEL:042-328-2192)まで。
*詳しい内容は、1月15日号の市報国分寺《3ページ》にも載っています。





  • Posted by water. at 2013年01月23日22:36

    江川太郎左衛門(1)

    江川太郎左衛門といえば、伊豆韮山の代官で、反射炉を築いた人物として教科書に載っており、それだけの認識だったのだが・・・。
    明治維新当時、現国分寺市の一部が韮山県に属した経緯を調べている中で、国分寺市と江川太郎左衛門との結びつきを初めて知るに至った。つまり、江川太郎左衛門は確かに伊豆韮山を本拠とした江戸幕府の世襲代官ではあったが、その支配地は伊豆の他、相模、駿河、武蔵などの天領(幕府の直轄地)5万4,000石(後26万石)に及んでいた。その結果明治維新時、現国分寺市のうち、野中新田六左衛門組、榎戸新田、平兵衞新田、中藤新田、上谷保新田は代官江川太郎左衛門の支配地だったため韮山県に属することになったのである。
    ちなみに、明治政府は維新時代官支配地をもとに府県を設置し、それまでの代官をそのまま県令(知事)に任命した。その後廃藩置県後の府県統合による韮山県の廃止に伴い、韮山県に属していた村々は神奈川県に編入されるに至った。


  • Posted by water. at 2013年01月06日17:16

    伊豆の国市

    先ごろ、某テレビ番組で取り上げらているのを見て、初めて伊豆の国市の存在を知った。今注目を集めているのは、明日最終回を迎えるNHKの大河ドラマ”平清盛”に登場する源頼朝の配流の地、尼将軍北条政子との出会いの地である蛭ケ島(蛭ケ小島)があるからである。そのほか反射炉で有名な韮山など史跡に事欠かない地でもある。どのあたりかといえば伊豆長岡が中心地。すなわち、旧長岡町、韮山町、大仁町が合併して誕生した新しい市なのである。かつては江戸幕府の天領、世襲代官、江川太郎左衛門の支配地だった。


  • Posted by water. at 2012年12月22日23:12

    国分寺めぐり(第4回):上野国分寺

    国分寺・名水と歴史的景観を守る会では、一昨年から、公募型バス旅行”諸国国分寺めぐり”を企画、実施している。
    既報のとおり、第1回(平成22年6月)が下総(市川市)、第2回(平成22年12月)が下野(下野市)、第3回(平成23年11月)が上総(市原市)そして今回、第4回(6月6日《木》)は上野国分寺を訪ねた。参加者は24名、中央道、圏央道、関越道を経由して、上野国分僧寺跡(高崎市)に到着。同所に設置されているガイダンス施設、「上野国分寺館」で、今回、同行解説をお願いした高井佳弘先生のお話を伺ったり、同施設の展示物を見学したりした後。同先生のご案内で、版築工法で一部復元されている伽藍の四辺を囲う築垣、復元されている金堂と七重塔の基壇など僧寺跡を見学した。同所は上野国のほゞ中央に位置し、国府跡(推定)にも近く、北西に榛名山、北東に赤城山、西に浅間山を望む景勝地であり、南に染谷川、北に牛池川が流れるなど、水にも恵まれている場所である。これまでの諸国国分寺めぐりを通じて、それぞれの国分寺の違いや共通点、聖武天皇の詔に言う好処のイメージがおぼろげながら浮かび上がってきたように思える。


  • Posted by water. at 2012年08月28日23:28

    出羽三山めぐり

    去る7月16,17日、一泊二日、駆け足で出羽三山をめぐった。古くから出羽三山詣では西の「伊勢参宮」に対し、東の「奥参り」として民衆の生活の中に息づいていた。江戸時代、当地国分寺でも裕福な農民は出羽三山に詣でていたようで、多摩蘭坂下に、湯殿山、羽黒山、月山と刻された石碑がある。出羽三山に詣でる旅の途中亡くなった人の供養塔だという。
    ところで、出羽三山は、今から1420年ほど前の推古元年(593年)第33代崇峻天皇の第1皇子・蜂͡子皇子が羽黒山を開かれたのが始まりといわれている。羽黒山の山頂には、三山の神々を合祀する三神合祭殿(国指定重文:藁葺木造建造物としては日本最大)がある。社殿の前の御手洗池は鏡池と呼ばれ、人々から奉納された銅鏡が埋納されている。また、山頂に至る参道には、老杉が生い茂り、石段は2446段、途中の林の中には国宝の五重塔が優美な姿を見せている。
    月山は、標高1984m、出羽三山の主峰として聳え、頂上には月山神社の本宮がある。8合目の弥陀ヶ原(標高1400m)から頂上にかけては高山植物の宝庫であり、湿原は尾瀬を思わせる。訪れた日は霧雨、風も強かったので、8合目の御田原参籠所(月山中之宮)から遥拝した。 
    湯殿山は、出羽三山の奥の宮とされ、修験道の霊地である。湯殿山神社本宮、といっても雪深い山中のため恒常的な社殿はなく、梵字川のほとり、ご神体の大岩が鎮座している。裸足になり、お祓いを受け、参拝、温かいお湯を足の裏で感じながらの参拝だった。いずれにせよ、このような山深い地を、江戸の人々はどんな思いでめぐったのだろうか・・・。


  • Posted by water. at 2012年08月02日16:38

    野川にアユ遡上 ビッグニュース! 

    去る24日(日)、野川流域連絡会の第5期活動報告会に合わせて、「野川の散策」を実施した。 上流コースは、野川公園内にある自然観察センターから報告会の会場、調布市立柏野小学校までの5.4キロ余り。
    途中、いろいろ観察しながら、楽しく歩を進めたが、この度は大きな発見、アユの遡上の発見があった。 大澤橋の上流で釣りをしている人から、”先般アユを釣った人がいた”との情報があり、注意していたところ、琥珀橋の上から下流側を観ていた仲間から、”アユだ”との声が上がった。水生生物に詳しい仲間が間違いなく稚アユであることを確認した。数十尾の群れが3グループあまり確認された。おまけとして稚アユを狙ってか、ゆっくりと後を追う、ナマズ2匹も観察された。
    ところで遡上だとすれば、初めてのことではないか? かつて、野川が玉川上水の分水の流末だった当時(昭和40年以前)落ちアユは確認されているが・・。未確認ではあるが、先般の台風4号通過時の大雨で水かさが増した際に多摩川から 遡上したのではないかと考えられる。ちなみに今年多摩川では、昨年を上回る大量(1194万尾)の稚アユの遡上が報じられている。


  • Posted by water. at 2012年06月29日21:30

    ホタルの夕べ(第2回、姿見の池)

    6月23日(土) 午後7時30分~9時30分 姿見の池周辺で昨年に引き続いて「姿見の池ホタルの夕べ」を開催する。
    集合場所は姿見の池に隣接する西恋ヶ窪若松公園(東福寺の前)。実行委員会方式で、主催:「泉山自治会」、「ホタルよもう一度の会」、「緑と自然を育てる会」、協賛が「ここネットナイン」、「国分寺にふるさとをつくる会」 後援:国分寺市 といったところ。少々の雨なら決行する。
    開催の主旨は、「生物多様性の象徴としてのホタルの復活(自生)・・・。  目指すはホタルの復活(自生)だが」当面は、会員が天塩にかけて育ててきた、平家ホタルを展示、鑑賞してもらう。是非子どもさん達と一緒にホタルの夕べをお楽しみいただきたい。
    折から国分寺市では、平成16年に策定された環境基本計画見直しのワークショップが始まっているが、「計画の基本となる考え方」には大きな変更はない筈。「多様な生物との共生」は引き続き重要なテーマである。ホタルの自生する環境:ホタルの生息空間の確保に向けて頑張っていきたい。


  • Posted by water. at 2012年06月12日23:55

    金環日食~金星の日面経過

    2012年5月21日の午前7時35分の前後約1時間の金環日食。世紀の天体ショウ騒ぎから早くも1週間が経つ。かく言う私も話のタネにと日食グラスを購入、前日には予行も行い、しっかりと観察した。幸い国分寺の自宅から、雲に遮られることもなく、都心(テレビ中継)よりよく見ることができた。
    それにしても、中心食帯が同じものは932年振りだとか、東京(江戸)だと173年振り、次は300年後だとか・・・・。ただし地球上の場所を選ばなければ、かなり頻繁に起るようだ。ちなみに、日食ではないが、金星の日面経過が6月6日の8時~13時に見ることができるという。(黒い点が太陽を横切っていくのがわかるとのこと・・・金星の見かけの大きさは太陽の30分の一)折角日食グラスがあるので、天気が良ければ観察したいと思っている。


  • Posted by water. at 2012年05月28日00:08

    中欧

    先ごろ思い立って、中欧を旅した。6泊8日のツアー。ウイーンへの直行便。後は北緯47度、広々とした農業地帯をバスでの移動。ブダペスト、プラチスラヴァ、プラハ、チェスキー・クルムロフ、ウイーンといずれ中世の息づく街々。ハプスブルク帝国の栄華の跡をたどった。
    ”青きドナウ”の両側に広がるブタとペストの美しい街並み。 ドイツのシュヴァルツヴァルトに源を発し、オーストリア、ハンガリー、セルビア、ルーマニアなどを経て黒海に注ぐ、総延長2,850㎞の国際河川、ドナウ川もここハンガリ―あたりは中流域。ゆったりとした流れは心が休まった。 
    赤い家並みと尖塔の屹立するプラハ。創業1499年というビアホール、黒ビールのウ・フレクー。まさに中世が息づく街。 
    そして、まち角で、モーツァルトやシューベルトに出会いそうなウイーン。 ザッハートルテや豚肉のヴィナー・シュニッツェル。女帝マリア・テレジアと少女期のマリー・アントワネットも暮らした、ハプスブルグ家の夏の宮殿、バロック様式の代表的な建物でもある、シェーンブルン宮殿。ロマネスク様式で建てられ、ゴシック様式で建て替えられたシュテファン寺院などなど、眼も舌も堪能した旅だった。


  • Posted by water. at 2012年05月16日22:24

    高尾梅郷

    「玉川上水自然道を歩く会」は毎月第1日曜が例会。通常は三鷹の東橋に集合、井之頭公園の松本訓導殉難の碑までが通常コース。今月は梅もそろそろということで、4日に高尾梅郷を訪ねた。高尾梅郷は、西浅川町と裏高尾町の小仏川、旧甲州街道沿いで、関所梅林、天神梅林、湯の花梅林、遊歩道梅林などを中心に約10,000本ぐらいある。例年だとまさに見ごろなのだが、今年はここも例外ではなく、咲いている木はほんの少しだけ。JR高尾駅から約15分、上椚田橋から小仏川の瀬音を聞きながら、遊歩道梅林、天神梅林を経て、関所梅林まで歩いて一服。そこから京王線の高尾山口へ。高橋家の旨いそばを食べて帰途についた。多分今は見ごろ・・・。お薦めのコースではある。


  • Posted by water. at 2012年03月16日00:15

    「(仮称)国分寺五十景」

    国分寺市では一昨年「国分寺市景観まちづくり指針」を策定した。これを受けて、国分寺市まちづくりセンター(まちセン)では、景観まちづくりの推進の一環として、「まちづくり指針」の目標景観像「緑と水と歴史に彩られた美しいまち国分寺」にそって「(仮称)国分寺五十景」選定を進めている。 選定の理念は「市民が誇りと愛着のもてる景観」としている。平成18年に都市計画課が作成した、”国分寺市景観まちづくりマップ”を下敷きに、スタッフが手分けして調査、検討し、候補を絞り込んだ。2月1日号市報で告知、目下市民の意見を聞いているところである。写真は、まちセン事務室内に掲示するとともに、まちセンのホームページ(http://kokubunji -machisen.com)でも公開中である。是非ご覧いただきたいと思う。


  • Posted by water. at 2012年02月13日23:32

    谷中界隈

    谷中七福神めぐりの途中、富士見坂に立ち寄ったことは先に触れたが、富士見坂をほんの少し南に行くと經王寺(きょうおうじ)がある。慶応4年(1868年)の上野戦争に敗れた彰義隊がここに隠れたため、新政府軍の攻撃を受けたとのことで弾痕が、今も山門に残っている。
    そこから、御殿坂を西に下ると有名な「夕やけだんだん」がある。一般公募で命名されたこの階段の上からは、美しい夕焼けを見ることができるという。野良猫達の天国としても知られているが。なぜかこの日は見かけなかった。
    その先は、これまた有名な谷中銀座である。懐かしいような、不思議な場所である。地元の人達と、観光客とで賑わっていた。
    そこから来た道を引き返すと(「夕やけだんだん」を上り、御殿坂を登っていくと)日暮里であそこを右折すると、もうそこは谷中霊園である。このあたりはいわゆる寺町であり、各寺の墓地も集まっているので、一帯が墓苑である。霊園の一角には、幸田露伴の小説「五重塔」で知られる五重塔の跡もある。ところで昨今、まち歩きの途次、有名人のお墓参りをする”墓マイラー”という人たちがいると云われているが、ご多聞に漏れず、ここも賑わっていた。ちなみに、2枚目の代名詞ともいうべき長谷川一夫や最後(第15代)の将軍徳川慶喜のお墓も当霊園にある。


  • Posted by water. at 2012年02月06日22:49

    環境シンポジウム

    ”国分寺市環境ひろば”と国分寺市の共催による「第7回環境シンポジウム」が開催されます。
    日時:2月4日(土曜日) 午後1時30分開演
    場所;国分寺Lホール(国分寺駅ビル8階) 参加費:無料

    講演① 「省エネから地球1個分の暮らしへ~エコロジカル・フットプリントってなあに?~」

    私たちの生活がどれだけ地球に負荷を与えているか、持続可能な社会のための「地球の限界」と「地球の恵みの分     配の公平性」を指し示すモノサシである「エコロジカル・フットプリント」について  「エコロジカル・フットプリント」の権威    泉 浩二 さんにやさしく解説していただきます。

        
    講演② 「わが家は太陽光と燃料電池併用の発電所~導入後14年と5年の実績で分かったこと~」

    太陽光パネルは屋根の形状などによって発電状況が異なります。太陽光発電は何年くらいで償却できるのか、専門家として、また自宅に実際に設置してみた経験から 末光 正忠 さんから具体的に説明していただきます。
        
        今回の東日本大震災は、エネルギー問題、ひいては私たちの生き方,暮らし方にも大きな課題を呈しました。大変
        時宜にかなったテーマではないでしょうか。講演の後、フロアディスカッションも予定されています。
        多くの皆さんの参加をお待ちしています。 


  • Posted by water. at 2012年01月27日00:03

    谷中七福神めぐり

    近年、七福神めぐりが盛んである。都内でもコースが30か所以上もあるという。まちおこしの一環として新規参入?も続々ある模様。
    そんなわけで今年は、谷中七福神をめぐってみた。JR田端駅をスタート。先ず、東覚寺の福禄寿。ここで色紙(といっても和紙、1000円)を購入、ご朱印をいただく(200円)、続いて、青雲寺の恵比寿、修性院の布袋尊、天王寺の毘沙門天、長安寺の寿老人、護国院の大黒天、そして最後が不忍池弁天堂の弁財天と順次お参りしながらご朱印をいただく。(それぞれ200円)この間寄り道をしなければ5キロ余り。もちろん弁財天から回ってもいい。
    当日は、あちこち寄り道をした。先ずは修性院のすぐ近くの西日暮里の富士見坂。
    都内には多くの富士見坂があるものの、かろうじて冨士山らしい富士山の見えるのはここだけ(ただし左の稜線は高層ビルに隠されている)になってしまったという貴重な富士見坂。幸い冨士を見るには最適の季節、天候。感動のひと時を過ごした。


  • Posted by water. at 2012年01月24日00:28

    谷中七福神めぐり

    近年、七福神めぐりが盛んである。都内でもコースが30か所以上もあるという。まちおこしの一環として新規参入?も続々ある模様。
    そんなわけで今年は、谷中七福神をめぐってみた。JR田端駅をスタート。先ず、東覚寺の福禄寿。ここで色紙(といっても和紙、1000円)を購入、ご朱印をいただく(200円)、続いて、青雲寺の恵比寿、修性院の布袋尊、天王寺の毘沙門天、長安寺の寿老人、護国院の大黒天、そして最後が不忍池弁天堂の弁財天と順次お参りしながらご朱印をいただく。(それぞれ200円)この間寄り道をしなければ5キロ余り。もちろん弁財天から回ってもいい。
    当日は、あちこち寄り道をした。先ずは修性院のすぐ近くの西日暮里の富士見坂。
    都内には多くの富士見坂があるものの、かろうじて冨士山らしい富士山の見えるのはここだけ(ただし左の稜線は高層ビルに隠されている)になってしまったという貴重な富士見坂。幸い冨士を見るには最適の季節、天候。感動のひと時を過ごした。


  • Posted by water. at 2012年01月24日00:27

    更級日記

    今なぜ「更級日記」かといえば、実は先日”国分寺めぐり”で上総国分寺(跡)(千葉県市原市)を訪れる機会があり、そこで話題になっていたからである。
    更級日記は言うまでもなく、蜻蛉日記、和泉式部日記などと並ぶ平安女流日記文学の代表作の一つであり、高校の古文でも、徒然草、枕草子、源氏物語などに次いでよく取り上げられる。
    作者、菅原孝標の女(むすめ)が平安時代の中頃に書いた作者13歳~52歳頃までの40年間の回想録である。その冒頭が、住み慣れた上総の自宅からの旅立ち、すなわち、上総介であった父菅原孝標が任を終え、京に戻るのに従っての上京の場面(方違えの後、下総の国に至る)である。
    上総の国府が現市原市であったところから、同地では、まち起しの観点から、作者の住まい(国司の邸宅:上総は大国で、国司には親王が任じられ、赴任しないため「介」が事実上の国司だった)の場所の特定についての論争があったり、菅原通りと命名されたり(道路の愛称)と大いに盛り上がっているのである。また、古代上総から都へは海上ルート(上総→相模)だったのが、平安時代には陸路(上総→下総→武蔵)に変わっていることなども改めて確認できるのも面白い。


  • Posted by water. at 2012年01月05日00:31

    国分寺めぐり(2)

    今回は上総の国分寺(跡)を訪ねた。案内は市原市埋蔵文化財調査センター所長の田所 真先生にお願いした。専門的な話のほかに関連の話題にも触れていただき、いろいろな気づきがあった。
    都(畿内)に近い方が上(かみ)であることは承知していても、上総、下総の関係についてはこれまであまり気にも止めていなかったが・・・。当時上総は東海道に属しており(律令制のもとで五畿七道な地方行政区分だった)、相模から上総へのルートは海路であったことによる。ちなみに武蔵は東山道に属しており、その後東海道に所属変更(771年)になっている。確かに日本武尊の東征においても、相模から上総へは海路をとっており、その折暴風が起こり、船は漂流、弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に入ることで、海が納まり無事岸に着いたとの記述がある(日本書紀)。
    それにしても、当地方の古墳群などから、3世紀~5世紀ごろの房総には大和王権に対抗する、大きな勢力があり、それが徐々にに大和王権の支配下に入っていったことが実感できる。東日本最古級と云われる神門(ごうど)5号墳、(出現期すなわち3世紀後半の築造) 王賜銘鉄剣(「王下賜」を含む文字が象嵌されている)が出土した稲荷台1号墳、(5世紀後半) 極めて純度の高い金製の鈴が出土したことで有名な金鈴塚古墳、(6世紀の末頃)をはじめとする多数の古墳群がこれを物語っている。


  • Posted by water. at 2011年12月26日13:50

    国分寺めぐり

    「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」では昨年から、公募型バス旅行”諸国国分寺めぐり”を企画、実施している。
    第1回は昨年の6月、下総国分寺(市川市)、第2回は12月に下野国分寺(下野市)、今回が第3回で、11月30日(水)上総国分寺(市原市)を訪ねた。言うまでもなく、国分寺は、天平13年(741年)僧寺と尼寺を国ごとに置くことを命じた聖武天皇の『国分寺建立の詔』に基づいて全国六十余か所に建立された。(当時全国には六八か国が置かれていた) もとより現存するものはなく、国分寺跡であるが、『詔』の命じている「好処」をどのようにしてクリアしているのか(立地条件)、国府との位置関係、寺域や伽藍地の規模にも大きな開きがある。ちなみに上総国分寺の寺域は広大で、特に尼寺は今のところ(判明している中で)諸国最大といわれている。塔(七重塔)の位置関係など伽藍配置にも違いがある。地元の武蔵国分寺との比較、整備保全のあり方など興趣は尽きない。毎回地元の研究者に案内、解説をお願いしているが、今回は、市原市埋蔵文化財調査センター長 田所 真さんにお願いし、素晴らしいお話をうかがうことができた。今後も引き続き年1~2回、日帰り圏の訪問を予定している。古代史に興味のある方にはお薦めである。


  • Posted by water. at 2011年12月21日00:15

    養老渓谷

    11月25日(金)、紅葉狩りに粟又(あわまた)の滝、養老渓谷(千葉県)を訪ねた。残念ながら、紅葉は今年大夫遅れており、まだまだといった感じだったが、房総の海浜部とはまた違った、山里の秋をそれなりに堪能できた。粟又の滝は、別名高滝、養老川が落差30m、長さ100m、岩肌を優雅に流れ落ちる名瀑。茨城の袋田の滝に少し似ている。養老渓谷は、その少し下流に位置しており、遊歩道も整備されており、飛び石伝いに何か所か川を渡ることができる。近くには、頼朝ゆかりの出世観音もある。ところで「養老」といえば、岐阜県の「養老」がよく知られているが、名前の由来は全く別。当方の由来は、ひざの裏を表す古語の「よほろ」。「よほろ」が屈曲の多い川の様子を表しているところからきているとか。現在の「養老」の字があてられたのは、江戸時代以降、それまでは、「用路川」「勇露川」などという字があてられていたという。是非紅葉真っ盛りにもう一度訪れたいところだ。


  • Posted by water. at 2011年12月02日23:22

    エコレンジャー

    第6回国分寺環境まつりも2週間後に迫ってきた。先にお知らせしたとおり、今回はエコレンジャーショーも予定している。
    エコレンジャーショーは、東京農工大の環境問題について考える自主ゼミサークル「ごみダイエットNOKO」(1993年創設)による環境活動の一環である。ちなみに、「ごみダイエットNOKO」は、春のリサイクル市、学園祭でのごみ分別などの環境活動、ペットボトルのキャップと古紙の回収、府中市内のイベントへの参加など幅広い活動を展開している。
    エコレンジャーは、主にメンバーの一年生が、地球の平和と環境を守るヒーローに扮してクイズやアクションショ―(寸劇)を行い、子どもを対象に環境に関する啓発を行うもの。府中市内や学園祭で好評を博している。今回は、午前と午後各1回、ショーを行うほか、間の時間は場内をめぐり、他のイベントの案内など、まつりの盛り上げにも協力をしてもらえることになっている。パントマイムと合わせて楽しみにしていただきたい。


  • Posted by water. at 2011年11月17日22:54