更級日記

water

2012年01月05日 00:31

今なぜ「更級日記」かといえば、実は先日”国分寺めぐり”で上総国分寺(跡)(千葉県市原市)を訪れる機会があり、そこで話題になっていたからである。
更級日記は言うまでもなく、蜻蛉日記、和泉式部日記などと並ぶ平安女流日記文学の代表作の一つであり、高校の古文でも、徒然草、枕草子、源氏物語などに次いでよく取り上げられる。
作者、菅原孝標の女(むすめ)が平安時代の中頃に書いた作者13歳~52歳頃までの40年間の回想録である。その冒頭が、住み慣れた上総の自宅からの旅立ち、すなわち、上総介であった父菅原孝標が任を終え、京に戻るのに従っての上京の場面(方違えの後、下総の国に至る)である。
上総の国府が現市原市であったところから、同地では、まち起しの観点から、作者の住まい(国司の邸宅:上総は大国で、国司には親王が任じられ、赴任しないため「介」が事実上の国司だった)の場所の特定についての論争があったり、菅原通りと命名されたり(道路の愛称)と大いに盛り上がっているのである。また、古代上総から都へは海上ルート(上総→相模)だったのが、平安時代には陸路(上総→下総→武蔵)に変わっていることなども改めて確認できるのも面白い。

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