児島善三郎画伯(その2)

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2013年05月29日 23:23


児島画伯は、昭和11年(1936年)春に代々木から現国分寺市泉町(多喜窪)に転居。昭和26年(1951年)荻窪に転居するまで、太平洋戦争を挟んで15年あまりを国分寺で過ごした。崖線上に建てた自宅は大変大きく、部屋数は30を数えたという。*今、その跡地の一角にはお孫さんの児島俊郎さんが住んでおられる。
見晴らしもよく、ここから眺めた四季折々の田園風景・・・多喜窪通りから南東、岩崎別荘方向を描いた『残雪』、野川や天野別荘の森が描かれている『青田』、アトリエから北方、中央線方向を描いた『東風』などなど沢山の作品が残されている。コンクリート三面張りに改修される前の野川やその両側に広がる水田風景など貴重な資料でもある。

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